No.50: PMは被告人?|プロジェクトマネージメントのあるべき姿

 工程会議と名のつくものには、プロジェクト内において個々のタスクの進捗を確認するために行うものと、組織内でプロジェクト全体の進捗を確認するために行うものと、大まかには二つに分けられますが、後者においてしばしばプロジェクトマネージャ(PM)が裁判の被告人の様に扱われる場面を見てきました。これはあるべき姿でしょうか。

 企業によっては後者の場を”工程会議”とは呼ばないかも知れませんが、いずれにしてもここで対象としたいのは組織としてのプロジェクト全体の進捗確認の場です。基本的にはPMがプロジェクトの状況を説明し、上長や関係部署からの質問に答え、アドバイスや指導を受けます。プロジェクトが順調に進んでいればあまりPMが責められる場とはなりませんが、遅れている状況を目にした途端、まるでPMが裁判の被告人の様に追求されることがあります。ときには順調に進んでいても何かしら問題が起きる可能性を探し出して指導し、自分の存在価値を示そうとして悦に入る上長もおり、PMにとっては早く終わらせたい非生産的な場となりかねません。

 その様な場となってしまう原因は、組織の風土や文化といったものかも知れませんし、ただ一人の高慢な参加者によるものかも知れません。

 PMがプロジェクトの状況を説明し始めると、わからないところがあった時点でPMの説明を遮って質問し始め、挙句はその後で説明する予定だったところまで先走って質問を浴びせ、PMがその都度資料を飛ばしながら回答する、という様なこともあります。これでは他の参加者がプロジェクトの全体を俯瞰し、理解することができません。最悪はその人物の質問や指導だけでその場が終わってしまい、PMが相談したかったことや他の参加者の知見が取り上げられなかったという結果になります。しかもこの様な人物が組織の長であった場合には、目も当てられない状況です。

 こういった状況になってしまう責任は会議の進行役にもあります。まずはPMにプロジェクトの状況を説明させ、その後質疑応答の時間とすることを示し、円滑な進行を誘導するべきなのです。進行役が軌道修正を図ろうとしても、それを受け入れず我が道を進む上長がいたとしたら、それはその組織の雰囲気や風土を危ういものにしていくでしょう。

 進行役に依存せず、PM自身がその場を仕切れる態度や胆力を有していればベストなのですが、その様なPMでない場合は組織としてそういった場をPMの育成の場と考える必要があります。

 具体的には、PMの責任として最後まで説明させる。説明内容でPMがプロジェクトの状況を客観的かつ正確に捉えられているかを見る。そのうえでプロジェクトに発生している問題や可能性のあるリスクに対する対処が妥当か判断し、必要ならアドバイスや指導を行う、ということを繰り返します。そして育成の場とすると同時に、PMを支援する場としてほしいのです。

 PMだけでプロジェクト内で発生した問題を解決できないケースもあります。それを、精神論だけで頑張れ、何とかしろ、などとやっている会議は、無駄どころか有害でしかありません。特にありがちなのは、PMがリソース不足に対するヘルプを挙げているのに、組織として手を打たず、結果的に問題の拡大を見過ごしてしまうことです。

 PMがその場に対し、責められることを予想して後ろ向きの気持ちで臨むことになるのか、持っている問題の解決に協力してもらえるという前向きの気持ちで臨めることになるのか、目先のプロジェクトの成否以上に、PM及び組織にとって重要な分水嶺に思われてなりません。

 皆さんの企業では如何でしょう。PMを被告人の様に扱ってしまっていることはないでしょうか?

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